ミシェル・ウィーとCM

ミシェル・ウィーは、ここ一番の勝負で使用するという黒のゴルフウェアをまとい、ウィー選手が登場しました。日本語を勉強中の彼女は、日本人スタッフに「みなさん、こんにちは」と笑顔であいさつし、一瞬でその場のスタッフを彼女のファンにしなったそうです。CM撮影時のウィーのエピソードですが、アスリートらしい一面もあったようです。ドライバーのフルショットシーンでは、彼女のヘッドスピードにカメラの動きがついていけない場面もありました。


試合では300ヤード飛ばす豪快なスウィングは、事前の撮影シミュレーションを超えていたのです。また、今回のCMは、彼女の妥協を許さない自分への厳しさを描くことを目的としました。鍛え上げられた筋肉、ボールの飛球線やラインを読む厳しい視線、など試合のテレビ映像では見ることの出来ない凄みのあるウィー選手を撮影することがでたといいます。


また、カップヌードルを食べるシーンでは16歳の素敵な笑顔を見せてくれました。実際にカップヌードルは大好きというウィーは、普段からハワイで売られているカップヌードルを食べているそうで、「チキン味も好きだけど、スパイシー味が一番好き」と言っています。
今季は既に8試合に出場したウィー選手。カリー・ウェブと死闘を繰り広げ、2位タイに入ったフランスでのエビアンマスターズや、全英女子オープンの試合にもカップヌードルを大量に持っていったそうです。文字通り分刻みの撮影や、監督からの厳しい演技の要求に、嫌な顔も見せず素直に一生懸命に応えてくれて撮影は無事終了しました。スタジオのスタッフ全員から拍手が起こったそうです。


プロゴルファーのミシェル・ウィーが、女性ファッション誌「NYLON JAPAN」(発行元:カエルム株式会社)1月27日発売号にスクールチアガール風ファッションで登場します。ナイキアスリートであるウィーが、「NYLON JAPAN」とナイキウィメンのコラボレーションで、普段のゴルフコースでは見せないチアスタイルに挑戦しています。ウィーのファンならずとも見逃せないレアモノかもしれません。同誌には、他にも木村カエラ、香椎由宇ら人気モデルがナイキのアイテムをまとって登場します。

この美貌と実力を兼ね備えたミシェル・ウィーや、日本の宮里藍の活躍で最近ではゴルフが人気です。
ここ10年通っている打ちっ放しに行っても、最近はいつも順番待ちになります。
また、暖冬の影響で、スキーの代わりにゴルフに行く機会が多かったのではないでしょうか。
このゴルフ人気に後押しされて、ゴルフ会員権の相場も上昇中です。

ミシェル・ウィーのスイング2

ミシェル・ウィーのゴルフ・スイングですが、ミシェル・ウィーがプロになる4年ほどの前のゴルフ・スイングとプロ転向直後では大きな違いがあります。プロ転向の4年前、彼女のスイングはV字型に近かったのですが、プロになった後はU字型のスイングに変化していました。(このVやU字型というのは、ゴルファーの正面から見たときのスイングの軌道を表現したものです)。


その結果、飛距離と方向性を兼ね備えたスイングを徐々に身に付け始めていたのです。ミシェル・ウィーがプロに転向する4年ほど前のスイングとプロ転向後のスイングの大きな違いは体重移動でした。


ミシェル・ウィーのOLDスイング、つまりプロ転向前のスイングを見てみると、バックスイングの最中、頭の位置が殆ど変わらず、右サイドに体重を十分乗せている感じはありません。その結果、ダウンスイングでは頭がターゲット方向に流れてしまい、ドライバーでのスイングの軌道は上からボールに向かって振り下ろしているような形になっていました。正面から見ると、上から下に向かって振り下ろし、インパクトを終えてまた上に振り上げるというV字型のスイング軌道に近かったわけです。


ランニングアプローチは最初からボールを転がしてゆくアプローチですのでボールは地面から離れない、又は離れてもほんの少しの距離だけということになります。ミシェル・ウィーの場合、このアプローチには7番か8番アイアンを使うと話しています。そして、彼女が一番気にかけてるのは、手を使わないことだと言います。このショットで手を使わないために彼女はパッティングのグリップでクラブを握り、ボールは右足の前に置いています。この方法は恐らく、デビット・レッドベターから教わったものかと思われますが、パッティンググリップは一般的に手首の動きをある程度制限するものであるため、ミシェル・ウィーが言う手を使わないためには効果的です。

ミシェル・ウィーのスイング

ミシェル・ウィーはショットを打つ際に、クラブヘッドの重みを利用するのが良いと指摘し、インパクトでフェースがオープンになっていることが大切だと話しています。アドレスで開いたフェースを閉じないようにすることがこのショットを打つ際には大切ですが、その練習にミシェル・ウィーはこんなことをしています。


インパクトで右手の平が上(空)を向いている限り、フェースはオープンになっているはずです。フェースが閉じてしまうとダフリの原因にもなります。インパクトでフェースをオープンにするために彼女は(左手はいつも通りグリップし、)右手を開いたままグリップして、スイングする練習をします。そうすることで右手の平がインパクトで空を向いていることを確認しやすくなります。


ミシェル・ウィーのゴルフスイングは男子プロ並みだと宮里優作選手はゴルフ雑誌の中で評価していました。そのミシェル・ウィーのゴルフスイングはどのように進化してきたのでしょうか。ミシェル・ウィーがプロに転向した後のゴルフスイングはテークバックで以前にはあまり見られなかった動きが出てきました。ミシェル・ウィーのNewスイングではテークバック、それもスタートして直ぐ、右に体重を乗せるという動きが見受けられるようになりました。正面から彼女のゴルフスイングを見た時、テークバックのスタート直後、ドライバーのヘッドが右足の前まできたポジションではすでに体重が右に十分移動していることが分かります。


頭の位置が顔半分ほど右へ移動しています。バックスイングのトップまで頭の位置はそれ以上右へは移動しません。つまり、テークバックスタート直後に殆ど体重移動は終わっていることになります。この動きを取り入れたことで、ダウンスイングで頭がターゲット方向に流れることがなくなりました。結果的にクラブヘッドは上からではなく、ボールの真横からインパクトをむかえるようになり、飛距離とコントロール性が向上したのです。

岡本綾子 プロゴルファー

岡本 綾子(おかもと あやこ、女性、1951年4月2日 - )は、広島県東広島市安芸津町(旧豊田郡安芸津町)出身の女子プロゴルフ選手。
樋口久子と並んで、日本女子ゴルフの基盤を築いた名選手である。日本の女子選手で初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦した選手としても知られる。日本女子ゴルフツアーで44勝、アメリカLPGAツアーで17勝を挙げた。

[編集]経歴瀬戸内海を望む安芸津町木谷の生まれ。木谷は赤土土壌で地元では赤崎と呼ばれる美しい丘陵地で、ここで採れるジャガイモは煮崩れせず、煮込み料理に最適で隠れたブランド品として高級料亭などに流通されている。岡本の実家もジャガイモなどを昔から作っており畑仕事の手伝いで足腰を鍛えた。小学校からソフトボールを始め強豪愛媛県今治明徳高校に進む。

同高校卒業後、大和紡績福井工場(1995年9月閉鎖)でソフトボール部の選手として活躍、サウスポーの剛球エース兼4番として1971年、和歌山国体で優勝。国体優勝の祝勝ハワイ旅行で初めてゴルフ場を見学したのがきっかけでゴルフと出合う。1972年に大和紡を退職後、1973年1月に池田CCに入社し、1974年10月に2度目の受験でプロテスト合格。方言にコンプレックスが有り、フニャフニャ喋ると時の女王樋口久子からフニャとあだ名を付けられるなど、一見柔らかいイメージが有るが意志や上昇志向は相当強く、この後アメリカで成功するまで実家にもほとんど帰らなかった。

1975年、美津濃トーナメントで初優勝、1979年、日本女子プロゴルフ選手権で優勝、1980年、樋口を抜いて初の賞金女王、翌1981年、日本の女子選手では初めて本格的にアメリカLPGAツアーに参戦し、1982年から1992年の間、計17大会で優勝した。1987年には、アメリカ人以外で史上初のLPGAツアー賞金女王となった。メジャー大会での優勝はならなかったが、単独2位を4度、2位タイを2度経験している。中にはプレーオフで敗れた大会もあり、ローラ・デービースやパット・ブラッドリーなどに道を阻まれた。1983年から1991年までの間に、LPGAツアーの賞金獲得順位トップ10に8回入っている。ヨーロッパ女子ツアーでも、1990年に「ドイツ女子オープン」で優勝した。経歴を見ても分かるように樋口への強烈なライバル意識が、ここまで成功出来た理由と言えまいか。

各種スポーツ賞の受賞歴も多く、1983年に日本プロスポーツ大賞を受賞している。2005年度の世界ゴルフ殿堂入りも決定した。日本人ゴルファーの世界ゴルフ殿堂入りは、2003年の樋口久子、2004年の青木功に続いて史上3人目。日米のツアーでの活躍など、世界的な活躍から「国際投票部門」で選出された初の女子選手となる。また2005年12月20日、文部科学省からスポーツ振興に功績があった「スポーツ功労者」に選出された。郷土からは1993年に広島県民栄誉賞を受賞し、2005年には安芸津町名誉町民となっている。